Greeting of farewells

小林眞知子
さん


 四季折々の美しい自然と、神さまの愛に溢れ、地上の天国とも思える、居心地の良いこのキャンパスで、敬愛する信仰の兄弟姉妹方との温かいお交わりの中に26年間を過ごさせていただきました。
 私にとって人生の3分の1を過ごさせていただいたこのキャンパスは天国への架け橋の場所であり、信仰の学び舎、人生の学び舎でもあり、地上での故郷となりました。
 神さまがご計画のうちに置いてくださったこのキャンパスで満ち溢
れる恵みと祝福をいただき感謝にたえません。
 26年の間にはさまざまなことがありましたが、
いつも愛にあふれた兄弟姉妹方に支えられ、助けられ、導いていただき、信仰の乏しい弱いわたしを神さまはこのように愛溢れる兄弟姉妹方の中に入れて下さり、温かく育んでくださいました。本当に感謝、感謝の思いで一杯です。
 イエス様のご再臨が近づくに連れ、
サタンの巧みな罠が猛攻撃を振るい、信仰者には非常な苦難の時代がやってきます。その時にみ言葉に堅く立ち、どんな試練、苦難にも耐え抜ける強い信仰を持ち続けられる者にならせていただきたいと日々祈りつつ歩みたいと思います。
 今までの温かいお交わりを心から感謝いたします。
ありがとうございました。〈18日にお引っ越しの予定です〉

渡部昇・玲子
ご夫妻


 皆様には長い間大変お世話になりました。
 通算で39年1か月の間、敬愛する諸先生方と共に、
主のみ業の一端に携わる機会を得ましたことを大変光栄に思います。担任、学年主任、中学・高等学校の各宗教部、研成会、生徒指導部、教務課とさまざまな校務経験させていただきましたが、私の力不足のために多方面にご迷惑をおかけしてことが多々あったのではないかと推察しています。それ故に、この紙面をお借りして関係者の皆様に深くお詫びいたします。また、日常のさまざまな場面で私共家族に示してくださった、皆様のご厚情に対して、心からお礼を申し上げます。
 今後は、生活の基盤を神戸に移すことになりますが、
神戸ではこれまでに願ってはいてもなかなか実現が難しかった事柄に、いろいろ挑戦したりして、納得のゆく人生を歩んでまいりたいと考えております。
 皆様の上に、
主の恵みが豊かにありますようにいつも覚えてお祈りしています。〈25日にお引っ越しの予定です〉


バプテスマおめでとうございます

6月3日(土)、中学3年生の、飯塚有生くん、藤森礼士くん、知念はなつさん、河野真衣さん、松浦来珠さん、中学1年生の足立成樹くん、高校3年生の黒川優輝くんの7名がそれぞれバプテスマを受浸されました。皆さんの上に、主の豊かな守りと祝福がいつもありますように。



染河昌一先生を偲んで


先月24日に逝去された染河昌一先生(享年64歳)を偲び、
池増香織先生と田中義朗先生に「染河先生の思い出」について執筆いただきました。

染河先生の思い出
 染河先生には、
沖縄三育中学校の時からお世話になっておりました。その親しみのある、温かな人柄が魅力的で、当時多くの生徒から「そめちゃん」と呼ばれ、慕われており、私たちにとってはお父さんのような存在でした。そして、忘れたくても忘れられないのが先生の英語のクラスです。
 先生のクラスはいつもユーモアが溢れていました。
生徒が英語を楽しく理解できるようにと、先生が発案されたオリジナルの「英語のそめ九九」にお世話になった生徒は多いのではないでしょうか。今現在、私も英語教員として働かせていただいていますが、どう頑張っても、先生のような「英語のそめ九九」を思いつくことはできません。英語教育にかける先生の熱い情熱には脱帽するばかりです。
 7年前からこちらの学校で昌一先生と同じ英語科の一員として働く
中でも、多くの面でお世話になりました。教師1年目で、授業を行うことに不安が多い私に、多くのアドバイスと励ましの言葉を掛けて下さいました。また、授業で取り扱う内容で分からないことがあると、紙の辞書を使いながら、時間をかけて丁寧に教えて下さったことが忘れられません。
 恩師であり、英語科教員の大先輩でもある昌一先生と、
しばしの間お会いする機会が持てないことは、本当に心寂しいです。先生の、常に穏やかに人に接する姿勢や、英語教育に対する熱い想いを引き継いで、これからの教員生活を送りたいと思っています。(池増香織)


昌一先生の思い出
「カモシカクラブ」
 私が、広島に転勤して中学校で共に働くようになった頃、
染河先生がまだ20代。若くハツラツとしておられました。起床前(5:45)寮前駐車場で、女子寮に向かって昌一先生が「カモシカクラブー!」と雄叫びを上げると、寮から数名の女生徒が集まります。キャンパスを生徒と一緒に一周する、それだけのことでしたが、当時(あまり大きな声では言えませんが)広島三育学院中学校の女子生徒は、全国平均と比べて身長は低め、体重は多めと言われていて、そのことを払拭する役を果たしていたと思います。

「東の横綱、西の横綱」

 学年の終わり、先生方と食事会に行った折、
私たちは食後のデザートを食べようと話し合いましたが、某大学の学長になられたM先生と、昌一先生は、ちょっと失礼しますと言って、ラーメン屋さんに行ってラーメンを食べるという食欲旺盛ぶりでした。若いお二人の食欲はまさに「横綱」級。他の人を圧倒しておられたようです。

「おたふく風邪にも負けない強い身体」
 昌一先生がご結婚される前、おたふく風邪にかかり、
顔を大きく腫らして休まれたことがありました。その後、快復し晶子先生と結婚され、新婚生活をはじめられました。私たちは密かに心配していましたが、立派なお子様が与えられ(しかも双子ちゃん)、思わず「万歳!」と叫びながら先生をからかったことを思い出します。

「情熱的な英語教育」

 2学期のPTAの英語発表会、
今も同じプログラムを行っていると思いますが、当時2、3年生は英語劇をしていました。昌一先生が中学の英語教師だった時、脚本の中にユーモアを加え、衣装や装飾などにも工夫をこらして、素晴らしい作品を発表されていました。笑いと感動、先生が追求されて計画し、生徒たちが実行する、とても印象的なプログラムでした。

 昌一先生、長い教師生活、本当にご苦労さまでした。
み国における再会を望みとしていきたいと思います。また先生との温かい交わりを心から感謝しています。(田中義朗)