Story of the beginning

1977年誕生の広島三育学院教会
知られざる...始まりのストーリーをご紹介します

子ども伝道    品川 徹

 千葉県の袖ヶ浦から、当地大和へ移転してから早40年が過ぎました。
 移転当初、町に対して伝道活動、収穫運動はしない約束があるとのことでしたので、何もできませんでした。生徒たちは安息日になると、近くの山や、丘や、川や池などに行って過ごしていましたが、やがて行き尽くしてしまい、袖ヶ浦でやっていた「小羊クラブ」をやり始める者が出てきました。そしてそれは学校側の知るところとなりましたが、「やめなさい」とも言えず、とりあえず中村百合子先生を責任者として、開始することとなりました。それが最終的には10か所になり、12月には中学校チャペルで「子どもクリスマス会」を開催するまでになりました。
 参加した子どもたちは、年が明けるとそれぞれの学校で、子どもクリスマス会の話を友だちにしたようです。品川芙紗子がいつも行っていた美容院で、クリスマス会に行きたい子どもが「三育がないので、僕らは行けなかった。家の方でも三育をやって欲しい。そうすれば三育のクリスマス会に行ける」
と言ったことから、集会所みたいな古い建物を使って、福田分校が始まりました。土曜日になると自家用車に生徒を乗せて行くようになりました。私は、袖ヶ浦で20年近く子ども伝道をしていたので、安息日の午後に子ども伝道をして過ごせるうれしさから毎週欠かさず通い続けました。
 移転して5年目の夏も近づいた頃のこと。まだ「夏期聖書学校を始めよう」という声は誰からもなかったので、私は当時牧師をされていた山本勝司先生に、夏期聖書学校を始めてはどうかと話してみました。しかし、「夏休みの予定をすべて組んでしまったので、私は参加することができないんだけれど……」とのお返事でした。休みが間近だったので無理もないことでした。ところが、先生は続けて「そのかわりVBSのシナリオは私が作りますから」と言って、徹夜して作って下さったのです。
 こうして広島三育学院教会の第1回VBSが、1981年の夏休みに入ってすぐ、日曜から金曜までの5日間、教団の教材を使って開催されました。福田分校の子どもたちと教職員の子どもたちの計17名でのスタートでした。
 キャンパスは町から2、3キロ登ったところにありますので車での送迎が必要でしたが、年を追うごとに参加する子どもたちが増え、最大参加者は120名を超えました。私は、町の子どもたちの中から三育中学に入学してくれることを願って、15年この働きに携わり、今までに10名以上が入学を果たしました。そして、彼らの中には受洗して卒業する者もありました。SDAではありませんが、岡山と広島でクリスチャンになったという生徒もあります。
 今は年をとって何も伝道活動はできてはいませんが、今振り返ると、本当にいい時代だったと懐かしく思い返されます。

加賀美町長のバプテスマ 
   森田一男


 広島三育学院創立40周年おめでとうございます。私は1991年から5年間、広島三育学院の牧師としての召しをいただきました。
 米子教会から広島三育学院教会に赴任する2週間前、故品川芙紗子姉からいただいたお便りに、私は少なからず「恐れ」を覚えました。姉から私に送られた言葉、それは「森田先生には、ぜひ、元大和町町長の加賀美先生ご夫妻にバプテスマを授けていただきたいのです。これは森田先生の使命です」との力強いメッセージでした。しかし、その時の私は、企業家出身で政治家の大物にバプテスマとはと、尻込みをしてしまったのです。
 着任した私は、この大きな奇跡を見るため、品川姉の指示に従い、ログチャペルで安息日の早天祈祷会、火曜日の夜は大和町の求道者と聖書研究、訪問、家庭聖書研究会と、伝道活動のスケジュールを組みました。そして早速、品川姉と林育子姉に案内をいただき、加賀美先生宅へ向かいました。こうして加賀美先生との個人的な聖書研究が始まったのです。
 その後は、先生が「食べて行け」と言えば、「ハイ」。「昼寝して行け」と言えば、「ハイ」。「風呂にはいって行け」と言われれば、「ハイ」。「治療器に当たって行け」と言われれば、「ハイ」というように、先生との交わりを深めつつ共に聖書研究の時を過ごせたことは、とても幸いでした。
 しばらくして、先生は体調を崩されて入院、そして退院されました。そんなある日、奥様が台所へ行かれた隙に、私は祈りつつ、先生にバプテスマの決心を促しました。すると、先生は「私のような人間に資格がありますか?」と問われました。私は、イエス様がニコデモに語られたみ言葉、「だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」(ヨハネ3ノ3)を伝えました。すると先生は、「私にも神の国を見させて下さい」と、バプテスマの決心をして下さいました。
 その直後、台所から戻って来られた奥様に向かって「俺は、バプテスマ受けることにしたぞ」とひと言。奥様は驚かれて「あなた、いつ決心されたの?」 「今だ」と、先生は大きな目と力強い言葉で告白されました。
 そして1995年11月4日の安息日にバプテスマ式を執り行うことが決まりました。その朝、先生を迎えに行くと、多くのご家族に囲まれ、ビデオやカメラの光を浴びている先生の姿がありました。
 バプテスマ式は、奥様やお子様やお孫さんたちの前で、そして広島三育学院の先生方や生徒たちに囲まれ、とても祝福された時間でした。そして10年後、奥様の敏子さんも、2005年11月3日に渡辺恒義先生により、信仰告白によるバプテスマを受けられました。
 神様は、品川芙紗子さんの信仰と祈りに応えて下さいました。私は、在職中、大和町の皆様から「品川芙紗子さんは三育の天使」という声をよく耳にしました。
 これからも皆様が三育の天使になって、近隣の救霊のため前進されますよう、心からお祈りしています。