「おじいちゃんの体調が悪くなった」そう知らせを受けたのは、中1の冬でした。
 祖父はもともとがんを患っていて、「次に体調を崩したら最後だろう」と言われていました。また、祖父は仏教徒であったため、話が合わなかったりすることもありましたが、何かあったらすぐに助けてくれる、頼もしく優しい存在でした。
 そんな祖父は、体調が悪くなってからすぐに危篤状態に陥り、会話すらできなくなっている中で、私の心の中は、「死んでほしくない」という思いでいっぱいでした。そんな中、知らせを耳にしたクラスメート全員が一緒に祈ってくれたものの、私は心の中はずっしりとした重い、苦しい気持ちでした。そのとき、私は次の聖句に出会いました。
 「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編55ノ23)。
 この聖句と出会ったときに、私の祈りは「死んでほしくない」から、「最後に神様を伝えたい」に変わりました。
 その後、母親が広島に到着した後すぐに、祖父のもとへ急ぎました。病院に到着した頃には、親戚のほとんどが集まっていて、親戚の話では、私が到着する前日の夜から祖父は目を開いていられるようになったとのことでした。
 そこで私は、親戚に、クラスメートが一緒に祈ってくれたことを伝えました。すると「それのおかげだね」と、親戚が言っていました。
 その時だけではありますが、祖父だけでなく、親戚にも神様を示すことができました。
 次の日、私が三育に戻ってきた日の夜、祖父は息を引き取りました。最初はもちろん悲しかったですが、今は、予想を超えた祈りへの答えと、ちょうどよい時を与えてくださった神様に、心から感謝しています。

 「雨が降ってこそ、美しい虹が見られる。」この言葉は最近知った言葉なのですが、私の大好きな言葉の一つです。出会ったきっかけは、日めくりカレンダーでした。
 2年ほど前、母からプレゼントされたそのカレンダーを、少しめんどくさがりの私は2~3週間に1回程度めくっていました。しかし2020年になり、「今年からはカレンダーを1日1回きちんとめくる」という目標を立て、コツコツめくって28日目、この言葉に出会えたのです。
 雨が降ったら虹が出る。当たり前のようにも思えます。しかしこの言葉に、今出会えたことで新たな視点を見つけられました。
 私は、現在中学3年生なので、4月から「最高学年」と「受験生」という二つの肩書とともに今日まで過ごしてきました。今までの日々はとても楽とは言えない日々でした。1、2年生の時のように、何かあったとき、近くに相談ができる先輩はいません。私が質問される立場です。そのため寮生活や部活、作業の時間などで、責任感が持てるようになりました。しかし、常に責任感を持つのは難しく、くじけそうになりました。
 まさしく私の心の中で「雨」が降っていたのです。しかし今はその「雨」だった思い出も「虹」のように感じられます。それは、雨が止むまで傘をさしてくれた友だち、また先生がいたから。そして友だち、先生方を与えてくださった神様がいたからです。
 辛い時一緒に祈ってくださった先生、ただひたすら静かに、私の悩み、思いを聞いてくれた友だち、すべてをご存じの神様。私はそんな人たちと出会えたことが幸せです。
 「彼らは助け合い互いにはげましの声をかける」(イザヤ41ノ6)。これからは、私が人の心に傘を差せるような人になって、胸を張って言いたいです。「雨が降ってこそ、美しい虹が見られる」と。



年の夏のことです。神田郵便局の方から「渡部さん、渡部さん! この新聞記事に投稿した91歳のおばあちゃまから、この記事を預かっていますよ」「あの時の小さな男の子が郵便局に来たら渡して欲しいと言われましたよ」と、呼び止められました。
 私はその記事を読んでびっくり! 琉和が幼稚園の頃、確か一昨年の夏の郵便局での出来事が、おばあちゃまの投稿で、新聞に載っているではありませんか!
 郵便局で慌ただしく荷物を送る私の後で、琉和の相手をしてくれていた、あの上品で綺麗なおばあちゃまだ。……私もその出来事のことをよく覚えていました。「私何歳だと思う?」「うーん? 18歳くらいかなあ」と、琉和。「まあ。嬉しいー」とおばあちゃま(笑)。どこのどなたか分かりませんでしたが、ご年配の女性。とにかく子供の相手がお上手なこと。琉和をたくさん笑わせて、郵便局が本当に幸せな空間となりました。
 その時の琉和との会話を、ほっこりするような表現とユーモア溢れる面白い文章で記事にしてくれて、私の心まで、とても幸せな気持ちになりました。
 この記事を見たキャンパスのママさん達からもこの記事面白すぎるー、と連絡がきました。
 そして、何か月かが経ったときのこと。三谷屋のレジの方や、郵便局の方、キャンパスにいるママさんから、「あの記事を書いたおばあちゃまが渡部さん親子に会いたがっているよ」「三育のクリスマスバンケットにも、琉和くんを探しに来られていたよ」と言われて、「え?」。
 とてもびっくりしました。「私達もおばあちゃまに会いたい」。早速クリスマスの日に、お饅頭と琉和からのお手紙を持って郵便局へ行きました。すると、おばあちゃまが、大体あの方角から来られるとだけ教えられ、私達は三谷屋に車を置いて、1時間ほど歩いて探し回り、やっと、私達が探していた名前のある赤いポストにたどり着きました。
 ドキドキしながら琉和とインターフォンを押して、待ちました……すると奥の方からあの時のおばあちゃまが、出て来られました。
 おばあちゃまは、びっくりして「えー! よく来てくれたね、よくここがわかったねー、嬉しい! 凄く嬉しいよー」と言って、琉和を何度も抱きしめました。琉和もニコニコ。
 「あー! 郵便局にいたおばあちゃんだ!」感動の再会です。年齢がこんなに離れているのに二人はすでに、お友達のよう。琉和はおばあちゃまの下のお名前を、図々しく「ちゃん」づけで呼んでいました。
 このことがきっかけで、二人の交流が始まりました。おばあちゃまから手作りの年賀状や、手作りの紙芝居が郵便で届き、琉和は三谷屋へ行くついでにおばあちゃまの顔を見に行く。行くと必ずおばあちゃまは手作りの紙芝居を読んでくれます。
 そして、少しの楽しい時間を過ごしたら、琉和はお礼に「○○ちゃんが、もっと、もーっと、元気に楽しく遊べますように」と大きな声でお祈りをします。すると、おばあちゃまも笑いながら静かに目を閉じて一緒にアーメンを言います。
 神様が出逢わせてくれたこの奇跡のような交流に感謝です。(渡部美和子)