高田のおじいちゃんは、いつもやさしかったです。私があいさつすると、いつもわらって返してくれます。おじいちゃんとの一番の思い出は、12月にサンタクロースのぼうしをかぶって、いっしょに写真をとったことです。そのときもニコニコわらってくれました。なので、私もまるで天国にいるような、しあわせな気持ちになりました。天国ではおじいちゃんといっしょに野球がしたいです。

 「ちゃちゃ(わんちゃん)は高田のおじいちゃんの言うことはすぐ聞くよ!」「高田のおじいちゃん、今日もお散歩してたよ!」
 高田家の後ろに住む我が家では高田のおじいちゃんの話題がよく出ていました。
 子どもたちが高田家の横の階段を駆け下りるときには、いつも「危ない危ない」と心配してくださり、お庭にお邪魔するときには、「ちゃちゃ! ハウス!」と、安心してお庭に入れるようにしてくださったり、とても暖かく子どもたちを受け入れ、いつも優しく見守ってくださいました。
 また、お天気のいい日には、お庭に椅子を出して日向ぼっこをされており、時にはハーモニカで讃美歌を演奏され、おうちの中からおじいちゃんの讃美歌を歌う声が聞こえてきたこともあり、「いつか教会で特別讃美歌をお聞きしたいな」と密かに願っておりました。
 温かく優しい笑顔の高田のおじいちゃんに、しばらくお会いできないのはとても寂しいです。
 最後まで信仰を持ち続け生きる姿を見せてくださり、子どもたちを温かく優しく見守ってくださり心から感謝いたします。

がバプテスマを受けたきっかけは、私が聖書の中から生きる目的を見い出せるようになったからです。
 私は、小学校の時から「自分は何のために生きているんだろう」と悩んでいました。何度も自分の生きる価値を見失ったり、考えたりしていました。中2のある休みに、母に「人は何のために生きるんだろう」と話したら、母は「お父さんは人のために生きるって言っていたよ」と答えてくれました。この時、私も人のために生きることの大切さに気付きました。なぜなら、自分のために生きるのでは、死んでしまったらその人生は無意味になってしまい、人に迷惑をかけたままになってしまいますが、人のために生きることによって少しずつでも人に恩を返せると思ったからです。
 私は両親がクリスチャンで、三育の小学校を卒業していたので、ある程度聖書の教えは知っていました。なので、聖書の疑問について理解していくうちに、自然と神様を信じられるようになっていきました。 恩を返しきることこそが人間の責任であり、それとともに恩を返しきるまで死んではいけないと、自分なりの生きる目的とその価値を見い出せるようになりました。そう考えたとき、ある聖句が私の頭に浮かびました。マタイ7ノ12です。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」この聖句を考えたとき、私の生きる目的と聖書の教えは重なるんじゃないかと思いました。
 私は、聖書を信じるようになるには、聖書への疑問を一つ一つ無くしていくことがベストかなと思います。私が持った大きな疑問の一つは、「何のために神様はわざわざ世界や人間をつくったのだろう」という疑問です。答えは意外とシンプルでした。それは、神様が愛を持っていたからです。信じられない人もいるかもしれませんが、自分の子供を与えるほどの愛なら納得できます。
 このようにして、私は聖書を信じることができるようになりました。バプテスマを受けようか考え、聖書研究を受けていたところ、バプテスマを受けるのにとても良いタイミングが与えられました。これも神様のお導きだったのかなと思います。
 バプテスマを受けた後の変化は、あまり大きなものはないかもしれませんが、クリスチャンとしての自覚ができたり、日々の小さな選択が重要と思えるようになりました。自分がさらに少しでも変われるきっかけになったらいいなと思ってバプテスマを受けたので、これからも聖書に対する知識を深め、疑問をなくし、日々正しい判断ができるようがんばっていきたいです。

は10月24日にバプテスマを受けました。月曜日にある平野佐知子先生の聖書研究の時間に、「バプテスマを受けない?」と言われました。その時、私はバプテスマをしっかりと考えていなかったので、少しびっくりしました。
 その日、母に相談したら「受けてもいいんじゃない?」と答えが返ってきました。私はてっきり「まだ早い」と言われると思っていたので、その答えにもびっくりしました。次の日の朝起きて、いつも通り「希望への光」を読みました。毎朝1章ずつ読んでいるのですが、なんとその日に読むところは、イエス様がヨルダン川でバプテスマを受ける場面でした。私はびっくりして、いつもよりもゆっくり時間をかけて読みました。これは、バプテスマを受けなさいということか、それともただの偶然かなと半信半疑の気持ちでいました。ところが、その週の山地先生の聖書の時間もバプテスマについての授業でした。これは「神様が受けなさい」と言っているのだと思いましたが、バプテスマ日のギリギリまで決められないでいました。
 バプテスマの話が出てから、毎日の朝夕の礼拝でお祈りを続けました。そして、直前の木曜日に、今までの偶然とは思えない事柄を思い出しバプテスマを受ける決心をしました。これまでの神様のお導きに感謝します。
 バプテスマを受けて、水から上がった時はうれしかったです。これからも自分の行動で友達に神様を証しできる人になりたいです。

は、お姉ちゃんと一緒にバプテスマを受けました。初めてバプテスマを受けたいと思ったのは5歳の時で、その時パベル・ゴイア先生のお話を聞いたのと、ホープチャンネルや祈祷週で河原先生のお話を聞いたからでした。
 バプテスマを受ける時は、緊張して心臓がバクバクしました。受けたあとは寒かったけど、うれしかったです。これから神様のことをもっと学んだり、神様を知らない人に教えてあげたいです。
 将来、神様のことを伝える牧師先生になりたいです。