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~入信、そしてSDAに~
「三育はこぶね」204号より、東広島集会所 中西 静子姉 記)
昭和25年前、私は20才で旧制度の中等教員養成の専門学校を卒業し、瀬戸内の因島高等学校に奉職しました。戦時中の女学校は学徒動員で学力不足、戦後は物不足時代の教育を受け、実力の乏しい家政科教師として、2才年下の女生徒を前にして、不安一杯の職業婦人としての出発でありました。
大先輩の教師から教えられたことに、家事体験の少ない家政科教師は専業主婦の会に入り、学ぶようにとありましたので、羽仁もと子先生の婦人の友・友の会で実力を養いたいと願いました。
私は三人姉妹で農家の長女としての結婚が待っていますので、自宅に近い定時制高校に転勤して家に帰りました ...
投稿: 2009/11/05 1:32、ユーザー不明
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神の家族の中で
(「はこぶね」190号より 石橋幹子記) 《前編》 昨年の11月8日長男からメールが来ました。「バプテスマの誕生日おめでとう。何歳になりましたか?」「え?なんで?」息子が私のバプテスマを受けた日を知っているのかとビックリしました。私は子供達がバプテスマを受けた日にはカードを書いていますが、私のバプテスマを受けた日におめでとうと言われた事はありませんでした。息子が言うには「お爺ちゃんが亡くなった後、書庫にあったバークレーの本を貰ってきた。その本の間にアドベンチスト・ライフが挟んでありバプテスマを受けた人の名前の中にお母さんの名前が載っていた」という訳でした。父にとって私は最初の子供であり、バプテスマを受けた時本当に喜んでいました ...
投稿: 2009/09/20 8:25、ユーザー不明
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神様に守られ、導かれて
(2006年 「はこぶね」186、187号より、松浦道広記) 《前編》 私は、宝塚の地元の公立高校に通っていました。高校時代は、当時の風潮である無気力・無感動・無責任の三無主義に無関心が加わって四無主義が学内に蔓延していて、私もそんな空気に染まり、髪を肩まで伸ばしてダラダラとした日々を過ごしていました。 卒業真近の頃、親友が自殺をしました。人間ってあっけなく死んじゃうんだなあ。こんなに大きな事が起こったのに、心のよどみで事実がちゃんと受け入れられない自分を見て、とても怖くなったのを覚えています。こんな生活に流されちゃいけない、しっかり自分で考えられるようにならなくては、と。 ちょうど受験シーズンで、先々の就職のことなど頭に無く ...
投稿: 2009/09/20 8:26、ユーザー不明
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三育学院に行くまで
(「はこぶね」169号より、平尾慧美 記) 「人間死んだらどうなるの?」十一歳のとき母と死別したときに、わたしが最初にもった疑問でした。 父は、母を失ったわたしを大切に育てることを条件にして、父の友人からの紹介で、ある名家でお子さま付きの働きをしていた女性と再婚することにしました。わたしにとって、二番目の母親というのは、童話や少女小説からのイメージで、非常に悪かったのです。大人たちが決めてしまったことですから、わたしは本当のお母さんと思って親しんでいこうと決心しました。 しかし、新しい母との生活は、わたしにとって、とまどうことばかりでした。義母は,一にも二にも、お金が大切な人でした。ものの考え方は、すべてお金が中心でした ...
投稿: 2009/09/20 8:08、ユーザー不明
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不思議なみ手に導かれて
(「はこぶね」157号より 渡辺恒義 名誉牧師記) 70をとうに過ぎたこの頃、時々一緒に牧師になった数名のことを思うのです。あの頃多数の求道者が教会にあふれているのに、戦中の迫害のため牧師が極端に少なかったので、未熟な私みたいな者も召されたのでした。あれから50年、結局停年を迎えたのは自分一人になってしまったなとしみじみ思うのです。 さて、三育に入る前は、仙台教会に通っていました。熱い伝道精神の柴田栄治先生と戦中の迫害をくぐり抜けた信徒方が印象的でした。その教会に行くきっかけは『預言の声』でしたが、そこに戦時中からの神の不思議なみ手を思わずにはおられません。昭和18年(後でわかったのですが、SDA大迫害の年でした ...
投稿: 2009/09/20 8:06、ユーザー不明
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