朝ごとに
キリストに救われた人でも、疲れや不安に悩むことがあります。ただ、疲れているときに賛美をすると元気が出、不安を感じているときに祈ると平安になります。また、クリスチャンであれば支えになる御言葉があることでしょう。それは悩みのときに慰めとなり、弱っているときに励ましとなります。賛美と祈りと御言葉。これは信仰生活に欠かせないものです。その中でも御言葉は、信仰生活の基礎となります。
ある人は言いました。「聖書は読めば読むほど読みたくなるが、読まなければ読まないほど読みたくなくなる」。
言い換えれば、聖書は学び続けなければいのちの源になり得ないということです。わたしにも好きな聖句があります。牧師になりたいが、親から受け継いだような信仰では、神様のことを伝えられない。だから神様に会いたいです、と祈った結果、病院のベッドで語りかけられた御言葉がそれです。その当時の感動は忘れられません。今でも、その頃のことを思い出せば、心新たにされます。しかし、ふと思うのです。それはそのときの経験であって、そこにいつまでもしがみついているようでは、そのような信仰は風化してしまうと。
しかし、本当にキリスト者であれば、信仰が風化するようなことはないのではないでしょうか。“Adventist World”誌6月号で世界総会の聖書研究機関ディレクター、ロドリゲス氏が紹介しているように、聖書は「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。『あなたの真実はそれほど深い。』」と述べています(哀歌3:22,23)。毎朝神様はわたしたちを絶えることのない慈しみと尽きることのない憐れみによって新たにしてくださる。なんと感謝すべきでしょうか。
詩編記者は「いかに楽しいことでしょう主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い、朝ごとに、あなたの慈しみを夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは」と書いています(92:2、3〔口語訳では1、2節〕)。また、「主は、都の中にいまして正しく、決して不正を行われない。朝ごとに裁きを与え、それを光とし 誤りをなさることはない」と預言者は告げています(ゼファニヤ書3:5)「あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場」と、サウルに殺されそうになったダビデが讃えたのも朝です。(詩編59:17。〔口語訳では59:16〕)そして「義の太陽」であるイエスは、「輝く明けの明星」とご自身で宣言なさいます。(黙示録22:16)
「朝」という漢字は「とつきとおか」と書きますね。賛美と祈りと御言葉で毎朝生まれ変われますように!(中学校チャプレン 藤森大輔)