はこぶね214

成 長

私達は主を信じた時、神の子とされ、その後霊的に成長し続けます。その成長をどう評価しているか、次の二例(朝日10・10・11掲載)からみてみましょう。

「熱があるのでおふろに入れないと言うと、でもおふろでよーく洗ったらお熱とれるんじゃない?」と言った女の子は、十年後の今水泳得意で、身長も足も母を追い越した中一。三才の時のこの言葉を読んで彼女は「かわいい」とにっこり。今から見れば幼稚ですが、幼児なりの成長とみれば「かわいい」です。この話を聞く私達もほっこりさせられますね。

次の話。「抱っこしてよぉ。百才になったら抱っこしてって言わないからさぁ。」今中二のこの男の子は母に言わせると、反抗期のまっただ中とか。きっと投稿も見ないでしょうね。「関係ねぇ」とブスッとした顔が見えるようです。この場合過去の成長を否定するだけでなく、現在の成長も否定してしまい、希望も失ってしまいます。彼を見る人も希望を失い、暗い気持ちになるのではないでしょうか。自分の主にある成長を信じるクリスチャンは、世の光として、世に伝道しているのです。

さて最終期高齢者である自分は、主にある成長を見せているかなと心配します。何しろ物忘れ、ふらつきが多いのですから。

笠岡の主婦(61)は、認知症の母(91)と同居していますが、「認知症の母はお釜にご飯がないと、すぐ炊いてしまう。ある早朝ご飯の匂いで目覚め、台所を見ると、昔からのくせでお釜の前にすわっています。腹が減ったのうという母の声でおにぎりをつくる事にしました。水加減もよくふっくらと炊けたお釜にしゃもじを入れると、いつもと違う優しい重量感があり、大家族の時のご飯でした。だから特別優しい味がしました。」(朝日、ひととき10・10・11)

なるほど、物忘れがひどくなっても、人は誰かをほっこりさせられるのですね。最後まで人は成長させられるのですね。すると私のように、昔のような伝道もできず、へまばかりしていても、主は接する人の霊的成長の助け手として用いて下さるようです。

後期高齢者の皆さん、主が与える霊的成長を信じて一歩前進! 今日も上を向いて、主を賛美しつつ前進しましょう!!

渡辺恒義(名誉牧師)

「あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。」(エペソ4:15)