はこぶね227

アドベンチスト今昔物語

昭和20年代のクリスマス

今年もあちこちでクリスマスソングが響き、イルミネーションが街を彩り、人々は家族や親しい友人と楽しいクリスマスを迎えます。

昭和20年代。セブンスデー・アドベンチストは、ほかのプロテスタント教会同様、クリスマス(キリストの12月25日誕生説)は異教性が強いとの理由から否定的でした。しかし、第一線に出ますと、クリスマスは伝道の好機です。この機会を逃すまいと、「教会で本当のクリスマスを」「初詣のようにクリスマスは教会で」等と宣伝したこともありました。そしてしばらくすると会堂にツリーを飾り、子供たちにプレゼントをして喜ばせるようになったのです(中には反対する人もありました)。

ある日、教会で子供たちのクリスマスの楽しみをやめる必要はないというホワイト夫人の言葉を紹介しました。すると尊敬する信仰の大先輩で、戦時中の迫害を乗り越えてきた方が、いつもの静かな声で、「それはどこに書いてありますか」と尋ねられ、箇所を紹介しますと黙って去ってゆかれました。戦前からのアドベンチストの純粋さには、抵抗があったのだと感じました。

今年も生徒たちがクリスマスの伝道に奉仕しています。それによって、毎年どこかで誰かが感動し、片隅でまた暗闇でもがいている魂が感謝の生活へと変えられています。素晴らしい伝道の好機に、奉仕する若者たちに主の祝福を祈らずにはおれません。

こう書いている老人に、別の記憶がよみがえって来ました。

戦前、戦中の迫害は、教会、病院、学院の閉鎖に及びました。そのため、戦後教会に人々が押し寄せた時、牧師不足を生じました。これを見て、世界総会は、日本各地に会堂を建築したのです。ある農村地帯の教会に、準備不足の私みたいな若者が派遣されるようになってしまいました。その教会は、工場の事務所を購入して教会堂に改造したものでした。

さて、この地の、農民を主体とする信徒は勇者たちでした。戦中の迫害により牧師が検挙、警察に連行されても、土曜になるといつものように農具入れを背負って、山中の畑に一家揃って出かけます。人気のない所で、かごから聖書を取り出し、小声で賛美歌を歌い、使い古した教課を学んだ人たちです。何もわからない青年牧師にとっては信仰の大先輩でした。

教会堂の建築が終わる頃、教団本部から建築委員が検査に来ました。この方も戦中の迫害を乗り越えた信徒実業家でした。ひと通り見終わったあとで一言、「屋根の十字架は外してください」。でも、これは伝道熱に燃えた信徒方が、日本式家屋が教会であることを示すためにと、知恵を絞ったトタン製のものでした。しかし「何の像も造ってってはならない」との戒めに基づくものとして受け入れざるを得ませんでした。その頃、熱心に献身された兄弟姉妹は、今主の再臨を待ち望みつつ眠っておられます。

この年まで生かされた老人にとっては、聖書の時代もそうであったように、さまざまな事が起こるのだということと、しかし一切は主の栄光のために用いられるのだと、心から受け入れられるようになっています。(渡辺恒義)

クリスマスを教会で祝い始めた頃(写真は他教派の教会)

昔のSDA教会には十字架がない会堂も多かった(写真は旧首里教会)

聖書豆知識

博士達はいつ来たのか?

土曜学校や幼稚園、小学校のクリスマス劇を見て、気になることが二つあります。

①マリヤに救い主を身ごもることを知らせる天使は女子の役になっていること

②キリスト誕生の日、家畜小屋に羊飼いたちと博士たちがお祝いにやって来たこと

①については今回は触れません。②についてですが、博士たちはキリスト誕生の日にやって来たわけではないと考えられます。各時代の希望(上巻)49ページによりますと、イエスが誕生したあの夜に博士たちが天に一つの神秘な光を見たとあります。その光が消えると一つの光り輝く星が現れます。博士たちはそれから旅行の準備をして出発しました。

マタイによる福音書2章によりますと、博士たちがやって来て、その夜、天使がヨセフに夢で現れてエジプトに逃げることが書かれてあります。彼らはすぐ出発しました。

ところが、ルカによる福音書2章によりますと、イエスの8日目の割礼のこと、清めの期間が過ぎたので、誕生後40日ばかりしてエルサレムの神殿で初子としてささげられたとあります。もし、この時エジプトにいたのであれば、イエスの命が危険ですからエルサレムの神殿にやって来るということは考えられません。

つまり少なくとも誕生後40日ばかりはベツレヘムかエルサレムにいたことが考えられます。もしそうでなければ神殿には来られないからです。博士たちがキリストのもとに来たのは、この儀式の後ということになるのではないでしょうか。そしてヨセフたちは、博士たちが帰ってすぐエジプトに向かって出発したのです。(川越 勝)

博士たちが尋ねてきた場所は、実は馬屋ではなかったようです。またその頃、イエス・キリストはこの絵にあるくらい大きくなっていたのかもしれませんね。

博士は何人いたか?

昔から,幼子イエスを訪ねたのは3 人だったとされていますが,これは,贈り物が黄金,乳香,没薬の3つだったためです。一人が一つの贈り物を持って来たということでしょう。しかし聖書には、はっきり何人だったとは書かれていません。博士の数はもっと多くいたのではないかと考える学者もあるようです。