はこぶね232

海外ボランティア活動──奉仕の喜びと祝福を語る

品川徹さん

がこの活動に参加するようになったきっかけは、礼拝で引退牧師の今井宣朗先生から日本とフィリピン協力会の海外ボランティア活動についてお聞きしたことでした。その礼拝直後、今井先生に「自分も参加したい」と申し出ました。自分は定年退職しており、比較的自由な時間があるので奉仕ができると思ったからです。

活動には、2005年から始めて、この春休みまで、計6回参加しました。そのうち5回はフィリピンへ、1回はブラジルへ行きました。期間はだいたい、10日間から2週間くらいで、参加者はほとんどいつも、発起人の今井先生を中心に、私を含めた約6人くらいです。

どんな活動かというと、主にアカデミー(三育中、高校のような寮制の学校の意味)の校舎・教室の増設、理科室やベーカリーの建設、また教会改築のお手伝いなどです。また、2回目のミンドロ島訪問からは、今井先生が現地の牧師と組んで、朝夕の祈祷週や伝道講演会を催されることになり、そのお手伝いもしました。毎回多くのバプテスマがあり、多い時は113名もの改心者がありました。

毎回の活動が感動でした。これらの学校では宗教教育がとてもしっかりしており、寮の礼拝でのお話は霊的で、信仰的です。これらのことが数多くのバプテスマ数につながっているのだと思います。また、生徒達はとても愛想が良く、年配の自分たちでも歓迎し、宿舎にも遊びに来るなど、とても慕ってくれました。

私達は活動毎に毎回寄付をします。この寄付金は建築費や生徒の奨学金援助などに使われます。また、渡航する際には中古衣料や文具なども持っていくのですが、ある時は100キロもの献品を持って来た人もありました。 この活動への参加は、私の中で一番の楽しみとなっています。伝道方法には色々あると思いますが、私にとっては、今までの自分の仕事の専門性を生かしてご奉仕できること、しかもそれが他の人に喜ばれ祝福となるのは、とても大きな喜びです。さまざまな理由で、今後はこの活動に直接参加することが難しくなりそうですが、現地の子供達のための奨学金援助の寄付金は、ぜひ継続して行きたいと思っています。────────────────────────────────────────海外宣教師の思い出今月は、青年時代に海外で宣教師として働いたご経験のある大橋拓哉先生と藤森道子さんに、宣教 師時代の心に残るエピソードについてお書きいただきました。「今の私があるのは……」ブラジル──学生宣教師の経験から 大橋拓哉(小学校上級組担任)

は、1994~95年にかけて、ブラジルのバラ州ベレン市に、学生宣教師として赴きました。ベレンは、人口約130万人の、アマゾン川河口に位置する、赤道直下の港町です。熱帯気候で、1年を通じてとても暑いところです。ポルトガルの植民地時代の歴史的建造物が数多く残っていることや、美しいマンゴ並木などが町の特徴です。アマゾン川は河口付近のため、川というより海みたいで、対岸が見えません。人々の暮らしはゆったりとしており、昼間の一番暑いときには、どこのお店も閉まり昼寝の時間となります。

私は、この町のセントロ・ニッポニコ・アドベンチスタという日本人学校で、牧師の手伝いと、併設する寄宿舎で生活する日系2世の子ども達に日本語を教えました。彼らは、ベレンから200キロほど離れた、日系の人たちが多く住むトメアスーという小さな町から、親元を離れてやってきた中学・高校生です。彼らは、午前中現地の学校に通い、午後から日本人学校で日本語を勉強します。男の子達の趣味は、もっぱら釣りをすることで、休日にはよくいっしょにアマゾン川の支流へ釣りに行きました。釣れるのは主にナマズですが、時々小さなエイなどが釣れることもありました。女の子達は、日本の漫画を読むことが好きでした。日本に対する憧れを持っている子もおり、日本の話をしてあげると喜んで聞いていました。 また、現地のJICAで、日系ブラジル人児童に対し教育支援を行っている方々とも親しくさせていただきました。日本人レストランへよく一緒に食事に行ったことや、マナウスというリゾート地で合宿を行ったことなどは、ホントに楽しい思い出です。 三育学院時代、進路や人生の目的が分からず悶々としていた時に、高橋弘毅先生に声をかけていただき、ブラジル行きを決心しました。自分を変えたい、何か掴んで帰りたいと思って行ったブラジルでしたが、当初考えもしなかった「教師になりたい」との思いを胸に帰国することができました。

「神様は必ず助け、祝福くださる」

バングラデシュ──千人宣教師の経験から

藤森道子(オリブ寮寮母)

学生の

頃、教会で見たミッション・スポットライトの影響を受け、私は「いつか医療伝道チームに参加したい」という願いを持つようになりました。看護師になってから「千人宣教師運動」の話を聞き、25歳の時にトレーニングセンターのあるフィリピンへ渡航。多くの国から沢山の若者が仕事や学業を休んで、「1年間を主のために」と献身して集まってきている姿を見るのは感動的でした。“I am a missionary. The Lord calls me. I can do it. Once a missionary always missionary.” との標語のもとに厳しい訓練が毎日続きました。

私はトレーニングのあと、当時、アジアでも最貧国であったバングラデシュに派遣されましたが、そこは環境も治安も悪く、フィリピンがとても豊かで天国に思えるほどでした。言葉が全く分からない上に、イスラム教という慣れない文化。私の今までの常識が通じない世界でした。

そのような中、パートナーとふたりで全寮制学校のキャンパスに住み、毎日村に出て行っては、戸毎訪問をしながら医療活動をしました。何度も赤痢にかかり死にかけて、本気で「私は日本に帰れないかもしれない」と思ったこともありました。

しかし、様々な危険や困難に遭遇しても、神様は必ず私を助け、祝福してくださいました。お金がなくて村の人に薬を買うことができなかったときには薬が与えられました。悪霊にとりつかれている少女に手を置いて祈ったときには癒されました。危険なバスやリキシャでの移動中も事故や誘拐から守られました。 神様の今までの恵みを忘れることなく、今日もそしてこれからも歩んでいきたいと思います。────────────────────────────────────────

バプテスマおめでとう

春の祈祷週最終日の5月5日(土)、中田沙織さん(高校2年)が

バプテスマを受けられました。

司式は祈祷週で講師を務めた森田一男牧師でした。