大和町の名所にみた
椋梨川と20匹の鯉幟物語
こどもの日といえば「こいのぼり」を連想します。この大和町でもこどもの日が近付くと、たくさんのこいのぼりが泳いでいます。 そんな中、ひときわ目立つのが、白竜湖に流れ込む椋梨川にあがるこいのぼりです。今から20年以上前から、この川に個人的にこいのぼりをあげているのが地元出身の花戸さん。お花見の余興になればと、こいのぼりをあげたのがきっかけだそうです。今ではたくさんの方にこのこいのぼりを見ていただき、使命感と共に毎年の楽しみになっているのだとか。 川には毎年20匹近くのこいのぼりがあがります。このこいのぼりは花戸さんの活動に賛同してくださった方が、毎年寄付で送ってきてくださるそうです。 「20年間にはいろいろな思い出があるが、とにかく大変なのは、風が強い日にこいのぼりがやぶれたり、紐が切れたりして、鯉が川を泳いで行ってしまうこと。そのたびにこいのぼりを回収し、縫いなおし、また川にあげる。毎年このくり返し」と、花戸さんはおっしゃっていました。取り付け作業は毎年地元の仲間2、3人で行っているそうで、4月中旬から5月中旬まであがっています。このこいのぼりも徐々に有名になり、遠くから写真をとりに来る方もいるとのことで、そういう方に声をかけてもらうのが今一番の喜びだそうです。ただし、花戸さんの奥さまはご主人の身体を心配し、そろそろやめてもいいのでは、と言われていましたが、花戸さんは喜んでくれる人がいる限り、頑張って続けたいと張り切っておられました。
わたしたちの教会が大和に移り30年以上がたち、最近大和町に対しての伝道が言われるようになってきたと思います。伝道をする時、まず大和町の歴史や文化を理解し、伝道の糸口にしてみてはいかがでしょうか。
来年は一緒にこいのぼりの取り付け作業をお手伝いし、花戸さんを教会にご招待出来ればと思いました。皆さんも白竜湖の前を通る時には、このこいのぼりを見て、地元大和町で個人的に頑張っておられる方のことを思い出していただければと思います。(松岡輝)
バプテスマおめでとう
中高同時開催となったこの祈祷週でしたが、最終日の5月4日(土)、波亜伽絵真さん(中2)北林悠斗君(中3)野崎貴仁君(中3)佐々木アンドレ君(高2)定者祭君(高3)の5名が、大勢の友人たちが見守る中、バプテスマを受けられました。司式は、祈祷週で講師を務めた池宮城義一牧師と花田憲彦牧師でした。新たに教会の輪に加わわれた若い魂の上に、主の祝福と御守りがいつもありますよう、心よりお祈りいたします。
あかし
キリストとの出会いについて
浅野紀幸さん(同袍学寮副舎監)
私自身のことをお伝えする機会を下さり、有難うございます。私が、この広島三育学院で働き始めてから、いくらか時間が経ちました。しかし、私が高校男子寮を出て足を運ぶ場所は多くはありません。ですから、多くの教職員の皆様とお話しすることも簡単ではありません。この紙面をお借りし、私がバプテスマを受けた経緯について少し書こうと思います。 私が初めて教会を訪ねたのは、仙台に住んでいた2009年1月下旬のことでした。当時の私は、公私においていろいろと悩んでおりました。心の中では様々な感情が交錯し、そして混乱をしていました。中でも最も強かったのが、罪悪感や自己卑下の思いでした。疲れによって体調が悪かったこともあり、忙しい中で自らのそのような大変な気持ちを整理することができませんでした。そして、ひどく憂鬱な気持ちで過ごしていたのです。 そんなある日、ふと、住んでいたアパートの近くに教会があることを思い出しました。そして、何とはなしに訪れてみようと思ったのです。休みの日を利用して教会に行ってみると、牧師先生が丁寧に私の話に耳を傾けて下さいました。自然な会話の流れで、キリスト教についても説明をして下さいました。不思議なことに、私は、自分が罪人であるということ、そして、キリストの十字架の死の意味が私のためであるということについて、心と頭の両方で即座に納得がいったのです。それは教会に初めて訪れた日のことでした。
私は、その日のうちにバプテスマを受けさせてもらえないものかと申し出ました。私には、キリストの赦しを受けることなしに、その先の一歩すら踏み出して進むことができないように思われたからです。聖書研究を経た半年後の8月1日に、私はバプテスマを受けました。口では表現できない穏やかな気持ちになったことを思い出します。そして、更に半年が経った2010年の2月に、千葉の三育学院カレッジ神学科に入学することを決めました。
私は、当時の環境では自らの成長の機会を見いだせないことに気付いており、聖書の学びがその後の私の人生に何か良いきっかけを与えてくれるのではないかと考えたからです。神について学ぶことで、その後の人生を歩むきっかけが欲しかったのです。
よくよく考えてみると、実は神に癒されることを求めていたのだと思います。神学科で学ぶ中で、神の御心が何かを求め続ける大切さを知りました。また自分自身を見つめる機会を通して、確かに神の癒しを経験しました。しかし、正直のところ、自らの何が変わったのかを知ることはできません。ただ一つ確かなことは、イエス・キリストが、常に私と一緒にいて下さることを、気に留める自分がいるということです。事あるごとに主イエス・キリストに聴き、考え、待つように努める自分がいます。闇雲な努力の代わりに、自らを、そして他者も大切にできるよう、イエス・キリストから教わろうとする自分がいます。それが、昔の私には見られなかった新しい姿勢です。
皆様から頂くご指導は、主の御心のままに私に与えられるでしょうし、それらは私の成熟に欠かせないものです。今年度、皆様からの助言を大切に、広島三育学院で働きます。どうぞ宜しくお願い致します。
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Happy Birthday 森山家に5月3日、祐樹くんが誕生!
『こころのごはん』 宮葉子著 / いのちのことば社 「人の歴史に寄り添ってきた聖書という『こころのごはん』は、今を生きるための食べ物。カレーライスや肉じゃがといった定番メニューは、何度食べても飽きません。聖書のことばを繰り返し読んでも、飽きることがありません。いつもそこには新鮮な気づきがあります。」よく知っている聖句ばかりですが、確かに気づかされ、前向きになれる所がある。ペラペラと目次を見て、読んでみたい聖句の箇所を開いてみるだけでも、価値があると思います。(書評/橋本いつ子)