賛美のあかしDisciples このグループは、僕たちが高校1年生の2学期に、本田直希君、山下哲史(さとし)君、井上義人君、平田謙志朗(リーダー)の4人で結成した、歌が大好きな賛美チームです。結成当初は「高校男子コーテット」として活躍していて、奉仕する機会は、安息日プログラムや祈祷週の特別讃美歌から始まり、老人ホーム訪問、クリスマスコンサート等に及びました。 年が明け、3学期には、転入したばかりの山内晶太君も加わり、5人での活動が始まりました。チーム名も「Disciples(ディサイポーズ)」と決まり、教会訪問をする機会が与えられました。初めての教会訪問先は高知教会で、礼拝のプログラムと午後のミニコンサートを持たせていただきました。賛美した曲は子どもの曲から、懐かしい曲までと多岐にわたっていて、だれの心にも神様が届くようにしました。高知教会の牧師(現名古屋教会牧師)である、僕の父がその日の讃美をCDにして教会の皆さんに配ってくれたのですが、さまざまな曲を選んだ甲斐があり、子どもたちはリズミカルな曲を口ずさみ、年配の方々は「いつも聞いているよ」と言って下さいます。 チーム名である「Disciples」は弟子たちという意味で、神様の弟子として歌で伝道をしていきたいという思いが込められたものです。僕たちはこの思いを持ち、毎日決まった時間に練習をしています。練習の時には、技術の向上はもちろん、歌詞の意味を明確にしてから歌うことを心がけています。また、本番の時は、神様に栄光を帰すことができるように祈り、神様に力をもらってから始め、感謝をもって終えるようにしています。現在は、高校2年生となり、技術的に上達したため、特別讃美歌などをさせていただく時も、以前より多くの人の心を動かすことができるようになりました。しかし、これは僕たちの力によるものではないと思っています。神様が僕たちを通して語ってくださるからこそ成し得ることだと思います。
僕たちはこの大事なことを押さえて、これからも沢山の人に「弟子たち」として心からの讃美を捧げ伝道していきたいです。(平田謙志朗)
●11月1日(土)、中学生4名のバプテスマがありました。3年の縣 盛也くん、2年の足立理樹くん、藤本一佳くん、1年の青木泰統くんが、大勢の友人たちが見守る中、自らの信仰を表明しました。新たに教会の輪に加わった若い魂の上に、主の祝福と御守りがいつもありますように。
あ か し神様に自分を明け渡したら…!? 今学期、こちらの広島三育学院中学校女子寮のモニターと、英会話クラスを担当させていただいている土屋亜希、21歳です。アメリカのカリフォルニア州マウンテンビューで生まれ育ち、現在はテネシー州にあるサザンアドベンチスト大学で学んでいます。 私は、とても保守的なアドベンチストの家庭で育ちました。教会や学校生活はとても楽しいものでしたが、家庭では厳しい規則があり、なかにはなぜその規則があるのかさえ分からないまま育ちました。マニキュアは禁止、髪の毛も染めてはいけないなど、必ずしも悪いとは思えないような規則がありました。両親は、私にもっと内なる美しさに焦点を当てて欲しかったのだと思います。しかし、当時の私はこの隠れた美しさというものに気がつきませんでした。そして、高校に入学した頃から、反抗するようになり、親の厳しい規則をわざと破ったりしました。結果、母に辛い思いをさせてしまい、また、最終的にはイエス様も悲しませていたのです。自分の勝手な欲望を捨てて、神様に私の人生を導いて下さるよう委ねるべきだったのですが、そうはしませんでした。 当時の私は暗い人生の日々を過ごしていましたが、そんな時もさえ神様は介入してくださいます。ある友人が、私に神様がどんなに素晴らしいお方であり、また、神様に自分の人生をすべて委ねることにより、自分の人生がどれほど根本的に変えられたかという話をしてくれました。彼の驚くような証を聞いて、私も神様との個人的な経験を持ちたいと思うようになりました。神様と共に人生を歩み、神様だけを求める生き方がしたいと思いました。自分自身を神に譲り渡し、神様にすべて導いていただく人生です。
そしてその後、アメリカで文書伝道に参加した時、私の信仰は強められました。アメリカには、夏のあいだ、10週間の集中文書伝道プログラムがあります。カリフォルニア州だけでも、約500名の青年達が、毎年この文書伝道プログラムに参加します。文書伝道は参加できる仕事のなかで一番きつい仕事ですが、最も報われる仕事でもあります。なぜなら、他人を祝福するだけではなく、自分自身も倍の祝福を受けるからです。私の体験をあかししましょう。
その日は20冊の書籍を持って出かけたのですが、2時間経っても全く本は売れませんでした。3時間経っても、5時間経っても。何度もあきらめて帰ろうかと思いました。
7時間後、一軒の家を訪ねたところ、若い男の子が出てきました。本を勧めましたが、ポカンとしたようすだったので、お父さんかお母さんはいないか尋ねると、奥からお母さんが出てきました。するとそのお母さんは、私の顔を見るなり突然泣き出したのです。不思議に思って話を聞くと、彼女はクリスチャンで、次のように祈っていたといいます。「息子のために誰か使いを送ってください。聖書の本を息子に勧める人を」と。そうです。この時、まさに私が彼女の祈りの人になったのです。
そして彼女は私から10冊も本を買ってくれました。ところが祝福はこれだけではありませんでした。この日、次の訪問先でも5冊の本を買い求めていただき、残った5冊もその後次々と売れ、1日の終わりの1時間で20冊が完売したのです。もう帰ろうとあきらめかけていたところに、こんなエキサイティングな経験が待っていたのです。神様に委ねると、素晴らしい結果が与えられる経験でした。文書伝道をすることによって、本当に神様により頼み、熱心に祈り求めることができるようになります。イエス様のことについて学ぶだけではなく、実際にイエス様のことを経験するのです。
自分を神様に明け渡し、神様に私の人生に入ってきていただいたとき、神様は私を豊かに祝福して下さいました。皆さんも自我を捨てて、今日、そして永遠に、人生を神様にお委ねしてみて下さい。神様は皆さんのことを一番よくご存知のお方です。(オリブ寮モニター 土屋亜希:11月8日の10分集会の証より)
『メサイア』 E・G・ホワイト著/渡辺清美訳/福音社
イエス様の生涯をわかりやすく書いた「各時代の希望」を、さらに簡潔に1冊の本にしています。
私は『ひとりの人間として、イエスは人類の罪の結果の苦しみを受けなければなりませんでした。人間として、イエスは神の罪に対する怒りに耐えなければならなかったのです』というところが、特に心に残り、イエス様の苦しみの大きさに圧倒されました。
それほど人類を愛されたことを、改めて感謝しましょう。生きづらさを感じる現代においても、これほどの愛を受けていることを忘れず生きていきましょう。(書評:橋本いつ子)