笑顔の力
高校3年 山本浩太
聖歌隊には、多くの人が所属していて、それぞれ大事にしているものが違います。単に歌が好きな人、友達に誘われて入った人、神様を第一とする人。違う色を個々が持っているからこそ、聖歌隊は色とりどりで、これほどの多彩な色はこの団体でしか出せません。その中で僕は、「笑顔」という色を担当していて、神様を賛美する上で最も大事にしています。
例えば、演奏旅行で教会以外の場所で演奏するとき、聖書の背景がない人たちに向かって賛美するときに、まず一番始めに届くものは歌声、そして次に届くものは表情だと思います。その人たちと直接的な関係を持たないため、聞いている側は僕たちの表情を見て、この集団に対する印象(イメージ)が決まっていきます。みんな真顔で歌っているよりも、いい笑顔で歌っている方が間違いなくいい印象を持たれると思います。 僕たち聖歌隊は、伝道において本当に大きな役割を担っていると思います。でもそううまいこと行かないのも現実です。そこで僕が考える聖歌隊の伝道における大きな武器の一つが「笑顔」です。先ほどにも書きましたが、直接神様のことを伝えられない中で、笑顔というのは「聞く側にいい印象」を持たせます。 歌っている僕らが「いい表情」だったら、「何だか楽しそうだな」とか、「あの団体は何であんなに笑顔なんだろう」などと、興味を持ってくれると思いますし、疑問に思うと思います。そして、聞いてくれる人たちが少しでも「良かった」と思ってくれたら、数ある伝道方法の中でこの「笑顔」というのは、直接聖書のメッセージを語らずとも、立派な伝道の一つであり、伝道における武器だと僕は考えます。 周りだけでなく、自分自身もいい気分になれるのが、笑顔の最大の特徴です。今まで僕は、練習に気が向かない日も、「笑顔」で歌うことによってモチベーションを保ってきました。そういった部分でも、僕が神様を賛美する上で「笑顔」というのは必要なものです。このスタイルを貫いていきたいです。たくさんのメリットがある「笑顔」を、これからも大事にして賛美を続けていきたいと考えています。バプテスマの証
中学1年 早川 司
僕がバプテスマを受けようと思ったきっかけや理由などについてお話ししたいと思います。
ひとつ目は、小学校の聖書の時間に、牧師の先生から「世界の終わりには色々な宗教があります。でも最終的にはプロテスタント教会の信者だけが、天国に連れていってもらえる」と聞きました。この話を聞いて、僕はバプテスマを受けたいと思うようになりました。もうひとつの理由は、小学校の時は時間があるのにお祈りをしなかったり、時間があるのに教科研究を土曜日までに行っていなかったりしていました。しかし中学校に入ったら、時間がないのにお祈りしたり、暗唱聖句を覚えたりするようになっていました。そういうことに気づいたのが最近で、なぜそうしているのか考えました。そうして考えた結果、僕はいま神様を必要としているから、お祈りをしたり、暗唱聖句を覚えたりしているのではないかと思ったからです。 聖句を引きたいと思います。コリントの信徒への手紙2、7章1節です。「愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう」 この言葉のように、自分を清め、完全に聖なる者となれるように、これからも教会に通って、神様のことをもっと知ることができるよう努力したいと思います。
最初のきっかけは、小学校6年生の時のことです。僕は卒業式を終えた後、6年間のことについて振り返ってみました。すると、喧嘩をした時や、楽しかった時、苦しかった時、うれしい時、すべてに神様の導きとお支えがあったからこそ、友達や家族と、良いバランスのとれたコミュニケーションが取れ、また成り立っていたのかなと思いました。このことから、僕の側にいつもいてくださる神様に、ついていきたいな、感謝したいな、という気持ちがわき出てきました。ここで聖句を開きたいと思います。場所は、詩編119編の2節、7節です。お読みいたします。「いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は」「あなたの正しい裁きを学び まっすぐな心であなたに感謝します」 僕もこの聖句のように、バプテスマを受けられたことに、まっすぐな心で感謝したいと思います中学1年 渡部和都
僕はクリスチャン家庭に生まれ、幼い頃から教会に通っていました。ですから、バプテスマなども小さい頃から見ていました。今回、僕がバプテスマを受けようと思った理由は二つありました。
中学1年 野坂達也
僕が今回バプテスマを受けるきっかけとなったのは、1年か2年くらい前に、僕のひとつ上のお姉ちゃんがバプテスマを受けたことでした。その時、お母さんから「あなたも一緒に受ければ」と言われました。でも、そのときはバプテスマを受ける決心ができず、結局受けることができませんでした。そして、今年、広島三育学院中学校に入学して、僕はもっと聖書が好きになりました。
三育に来て、神様を知らない人と出会い、もっとたくさん聖書のことを教えてあげたいと思いました。しかし、人に教えるにはまず自分が神様に従う決心をしなければならないと思い、バプテスマを考えるようになりました。そして、聖書研究などを通して、神様を身近に感じることができ、バプテスマを受けることを決めました。 最後に、私の好きな聖句を読みたいと思います。詩編50編15節です。「それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう」
聖書の授業の時、一枚の紙が配られました。その紙は「バプテスマを希望するか、しないか」ということが書かれた紙でした。ほかの子はその前の日曜日に平野先生から聞いていましたが、その日、僕はちょうど発表会で外泊して聞いていませんでした。紙を見つめながら、どうしようか考えていた時、早川君と渡部君がバプテスマを受けようかと二人で話しているのが聞こえてきました。僕は二人に「バプテスマを受けるの?」と聞きくと、「受けるよ」と言ったので、「僕も一緒に受ける!」と言って、紙にバプテスマを受けると書きました。 これが、僕がバプテスマを受けることになったきっかけです。ここで聖句を紹介します。イザヤ書48章17節です。「イスラエルの聖なる神 あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神 わたしはあなたを教えて力をもたせ あなたを導いて道を行かせる」 僕はこの聖句を見つけたとき、「神様は一人一人の行く道を用意してくださっている」と思いました。このことを覚えて、今後も生活していきたいと思います。中学2年 河野真帆
今日は、私がなぜバプテスマを受けようと思ったかお話ししたいと思います。私は、クリスチャン家庭に生まれ、幼い時から教会に通っていました。そして、たくさん聖書のことを教えてもらってきました。そんな中、分級では真面目に話を聞いていたものの、礼拝には全く興味を持たず、絵を描いたりしていました。でも、小学校高学年になると、少しずつ聖書に興味を持ち始めました。それでも、礼拝を最初から最後まで真面目に聞くことはありませんでした。そしてこの三育に入学してきました。