投稿日: Sep 20, 2009 9:35:26 AM
(1997年「はこぶね」119号より 木戸 康人記)
(1)細山田先生との別れ
「私はもう駄目です。もう会うことは出来ないでしょう。しかし最後にあなたに言っておきたいことがあります。私の人生はとても幸せでした。私はキリストと共に歩んでとても幸せでした。」そして祈りましょうと言って、苦しそうに声を振り絞って僕のために、僕だけのために5分以上も祈ってくれました。僕はその間、人の目を気にすることなくただ大粒の涙を流していました。
そして、次の日先生は面会謝絶となり、その10日後に亡くなりました。「私の人生はとても幸せでした。キリストと共に歩んでとても幸せでした」という言葉を僕に残して先生は亡くなりました。
(2)僕の人生の目標
しかし、この時が僕の人生の目標が出来た瞬間でした。僕も死ぬ前に、僕の死を看取ってくれる人に向かって、「僕の人生は最高だった。幸せだった」と言い切って死ねたらそれでいい、人から何と言われようともかまわない。偽善者だと言われようが、駄目クリスチャンと言われようがかまわない。感情でバプテスマを受けたと言われようが、勢いでと言われようがかまわない。ただ人生の幕が閉じる時、「幸せだった」と言って死ねるなら、それでいい。僕はそのために生きる。キリストを信じる。そう決心しました。
でも、幸せになれる保証はどこにもありません。でも幸せになれると信じています。幸せになりたいという思いだけはどんな事があっても捨てません。キリストを信じたら幸せになれる。この思いが、この希望が、僕が僕であり続けることのできる唯一の支えだからです。
(3)あなたがあなたであるために
それから7年、今僕はここに立っています。死ぬ時に幸せだったというために、今、僕はここに立っています。
ここで考えてほしいことがあります。あなたがあなたであるために必要なものは何でしょうか。それはあなたが幸せになることではないでしょうか。どんなことがあっても幸せになりたいという思いです。あなたが幸せになるために必要なものを見つけてください。自分の手で見つけてください。大変だと思います。でも見つけることが出来たらあなたは、進みたくても進めない時でも、進みたくないのに進まなければならない時でも、自分らしく力強く生きていくことが出来ます。幸せになれるのです。
人生は思うようになかなか進みません。でも、苦しい思いがあるからこそ、悲しい思いがあるからこそ、虚しい思いがあるからこそ、僕たちは幸せになりたいと思うのです。神を求めるのです。そしてこの思いがキリストを崇めるのです。
(4)皆さんへの感謝と祈り
今、僕はここに立っています。僕が僕であるために、今、僕はこの場所に立っています。交わりの時は少なかったかもしれませんが、皆さんはいつも僕に元気を与えてくれました。一年間本当にありがとうございました。感謝しています。またいつか、皆さんと会える日を楽しみにしています。皆さんとこの広島三育学院の生徒の一人一人は僕が幸せになるために欠かすことの出来ない大切な宝物です。
「あなたは神と和らいで平安を得るがよい。
そうすれば幸福があなたに来るでしょう」
(ヨブ記22:21)
イエス様はあなたの幸せのために十字架にかかりました。あなたの幸せのために。 そのイエス様のことばです。
皆さんの幸せを心より祈っています。イエス様のみ名によって祈っています。(2月22日 ログチャペルでの礼拝説教より)