ある日

投稿日: Sep 21, 2009 1:8:42 PM

大きな「親展」の判の封書。嫌な予感を感じつつ開封すると、「胃の精密検査を」という通知でした。指定の日、横になり胃カメラが入り、「ゴックンして」。必死の思いでゴックン。「ここが(受像機に写っています)検診でひっかかったところですが、何でもありません」。よかったと思った瞬間、しろうと目にもはっきりと白い丸いもの。「これ切りますね」とチョッキン。一筋の血。「検査に出しますが、お盆が入るので10日後に」で本日はおしまい。

さあ、これからが患者の戦です。切り取ると言った時の医師の声がおかしかったぞ(先生、ごめんなさい)。ガンとわかったのか説明もしてくれなかったな。でも食欲も運動も普通だし大丈夫だろう。まてよ、この2,3年体重が減っている。すぐ上の兄の胃ガン手術も年初にあったな・・・と心が揺れ動きました。

そんなある日、祈りの中で、アッ、そうかといっぺんで心が軽くなりました。人生のたそがれ時を迎え、最後はどんな状態で迎えるのかとあれこれ考え、心が重くなる時があります。でもガンとわかったら、その道筋がはっきりするわけで、その時は悩む必要もなくなるという安心感でした。これは考えてもいなかった心境でした。まさに「神のおられる濃い雲(出エジプト記20:21)、不安の中にこそ神がおられる」という慰めを実体験しました。検査結果は「悪性ではありません」でおしまい。家内は「はじめから安心して祈れたから・・・」とすまして(すごい信仰)いました。それに比べると、まことに恥ずかしいことでした。再臨の日まで、ドキドキと安心が繰り返されるのでしょうね。(「三育はこぶね」189号より、名誉牧師 渡辺恒義記)