投稿日: Sep 21, 2009 1:2:48 PM
今年の7月末に行われた毎年恒例のVBSで、残念なことに交通事故が起きてしまいました。主催者である私たちが安全確保を怠ったことから起きてしまった事故であり、今後の継続開催に向けて見直しを迫られているところです。その中で、今回、何故このようなことを神様がお許しになったのだろうかと考えさせられたのですが、一つ気づかされたことは、私自身の目が集まってくる子供たち一人一人に向いていなかったということです。
これは神学科で教わったことなのですが、私たちの教会で集会を開く目的というのは、ただ一つであって、それは、そこに集まってくる人々に出会うということです。一人一人に目が向かなければ、プログラムを行う意味はないということになります。ところが今回、そのことを忘れてしまい、ただ3日間を無事に終えることしか考えていなかったということを、事故に遭った子のお見舞いに足を運ぶたびに思わされました。
私たちが対外的な働きを計画する際、まず周りの人々がこの教会、或いは学校に対して良い印象を持ってくださるようにということを常に意識すると思います。もちろん、それは大切なことです。しかし、それよりも先に私たちが覚えておかなければならないことは、この教会という場所が、神様が召された羊たちが集い、その一人一人が神様と出会い養われる場であるということです。私たちの教会は「社会全体からこぼれ落ちて、もう受けとめてくれる者もいなくなったとき・・・そこからこぼれ落ちる者を・・・受けとめることができる」場である必要があるのです(工藤信夫『これからのキリスト教』36頁)。
私たちの教会は、すべての人にイエス・キリストの福音を伝えるという使命を達成しようと熱心になるあまり、最も大切なことを犠牲にするようなことがあってはなりません。最も大切なこと、それは、「この最も小さい者の一人」(マタイ25:40)に目を向けることです。一つ一つの魂に目を留め、その救いのために喜んで奉仕する者でありたいと思います。(「はこぶね」182号より、高校チャプレン 浦島靖成記)