投稿日: Nov 05, 2009 8:0:27 AM
「しかし、ノアは主の好意を得た」。これは新共同訳聖書の創世記6:8です。次は口語訳で 「しかし、ノアは主の前に恵みを得た」、他には「ノアは主の心にかなっていた」(新改訳)とか、「彼だけは、神様に喜ばれる生き方をしていた」(リビングバイブル)などと訳されています。この部分はノアの無垢な生活や品性を讃えているだけではありません。むしろ、ノアに対する神様の眼差しに注目しているのだろうと思います。英語訳では「主の二つ目にノアは神の恵みを見出した」と描写しています。
ところで、夏休みに、普段あまり手伝うことのできない家事なんぞをやっておりました。布団をベランダに干すという単純な作業ですが。ひととおり布団を出し終えて部屋に足を踏み入れようとした拍子、どういうわけか、サンダルにくっついていたまち針を踏んだのでした。これまでホッチキスに画びょう、カッターナイフなどの痛みを味わったりしました。けれど、それらの痛みを遥かに超えた痛みでした。しかしふと、感謝が湧いてきたのです。(神様、子供たちをこのような痛みから守ってくださってありがとうございました!)
子供が痛み苦しむのを見るのは決して容易くはありません。子供が苦痛にうめくより、自分が痛みを選びます。親になって初めて抱き得た感覚です。恐らく、神様はノアが可愛くてしょうがなく、彼が罪に満ちた人々と共に滅びるのを見るに忍びなかったのでしょう。そして、罪の世に生きねばならない彼の苦しみに対する憐れみの眼差しを、ひとり子の命という何とも大きな痛みをもって注がれたのです。
「愛さずにはおれない」を意味する語から、「チャーミング」という言葉は生まれたと習いました。神様にとって当時のノアと同じく、今のわたしたちもきっと「チャーミング」な存在であるはずです。ノアのように無垢でありたいと思います。
(「三育はこぶね」204号 中学校チャプレン 藤森大輔 記)