投稿日: Sep 21, 2009 12:56:8 PM
聖徳太子の憲法17条の最初に、「和をもって尊しとなす」の語があります。当時の官僚たちへの勧めであり、混乱した日本の統一を果たした太子の意図がよく現れていると思います。これをもじったのでしょうか、電車の広告に、「和をもって日本となす」という本が紹介されていました。ロバート・ホワイテイングという方の著書で、おそらく日本の企業のあり方なのか、政治の世界のことか、日本人社会の風潮を風刺した内容であろうと察します。毎日のように死傷者が報道されるイラクの事態を思えば、「和」は大事、国会でのののしり合いや汚い野次の飛び交う政治の世界に、「和」は大事。なぜ話し合いで物事が進まないのかに失望しますが、一方で「和」は事なかれ主義にも偉力を発揮し、臭いものにふたをして、なんでもまあまあとばかり適当にごまかすことにも使われそうです。
先週、偶然にも3回ほど、近ごろの高校生たちの公共での非常識な行為を糾弾するテレビの報道番組を見ました。登校、下校する生徒たちが電車内で歩く隙間もないほど集団で座り込み、あるいは線路を歩き回り、果ては電車の網棚に寝る姿を映し、気を使って間を歩く一般乗客を思って注意を促す報道アナウンサーに「うるせーんだよ」「シバクぞ」と反撃し、女生徒も「アハハハ!」と笑っている始末です。うっかり注意すれば命の危険もありという時代です。番組の最後に、「あなたは注意できますか?」という 問いかけがありました。自分は教師だから黙っているわけにはいかないーと心の中で言いましたが、実は「和をもって」逃げそうな気がしました。今週の教師礼拝のテーマソングに、「正義と偽りを教えるみ言葉」という部分があり、道徳的な勇気の必要を教えられるこのごろです。(「はこぶね」176号より、曽根田健二牧師記)