投稿日: Sep 21, 2009 1:0:54 PM
広島三育学院のキャンパスに来てから、1ヶ月が経とうとしています。今までの私の人生の中で、ここまで自然の豊かな土地に住んだことはありません。夜、仕事を終えて暗い道を自宅まで歩いて帰る時、きれいな星を見上げながら、ふと、幽霊でも出てこないだろうかと心配になってみたりすることがあります。
私が小学生の頃に住んでいた家のすぐ裏手は墓地でした。その墓地の中を、よく自転車で走り回っていたのですが、暗くなってから自転車のライトをつけて走っていても、不思議と何も怖くありませんでした。また、それがある種の自慢でもありました。幽霊なんていないと信じ切っていたのをよく覚えていますし、万が一出たとしても、神様がお守りくださることを確信していました。
ところが、今になって幽霊の存在を信じるようになった・・・というわけではないのですが、サタンがそういう幻影を見せることはできるし、そのようなことが私の身に降りかかることを神様が許されることもあると思っているので、妙にびくびくしてしまったりするのだと思います。
イエス様は、こうおっしゃっています。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(ルカによる福音書18章17節)
子供のように神の国を受け入れるとは、具体的にどのようなことかということがよく議論されますが、私は、これは神様の約束を素直に信じる姿勢が言われているのだと思います。例えば、「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩編23編4節)との約束が与えられていますが、これを素直に信じる姿勢です。
いや、クリスチャンであっても、守られるとは限らない、実際にそういう話を聞く・・・などと考えて心配する前に、私にとって何が最善であるかをご存じの神様が、いつも共にいてくださり、必要なお守りを与えてくださるという素直な信仰を持って、日々の歩みをなしていきたいと思います。(「はこぶね」178号より、浦島靖成牧師記)