投稿日: Sep 21, 2009 1:8:3 PM
この夏、ある映画を見てアフリカのある国における水の事情を知る機会が与えられました。その映画によれば、1日の給料の約10%が水代で消え、人々は水が高価すぎるため手を洗うことを控え、多くの人が病気になってしまうとのことでした。「立派な病院がなくても、井戸さえあればいい」というセリフが実に印象的でした。世界中で8秒に1人が、安全な水が手に入らないために命を落としているそうです。そのような人々のためにADRA JAPAN を含む多くのボランテイア団体が、各地で井戸掘りプロジェクトを実行しています。
イエス・キリストの働きは、まさに「井戸掘り」ではないでしょうか。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書 4章14節)
キリストはわたしたちの心にとって安全な水を与えようとしているだけでなく、安全な水をくみ出すことのできる泉を与えてくださろうとしています。心の井戸を掘ってくださっているのです。
井戸を掘っていくと岩盤にあたり、その岩盤を突き抜けなければ水脈にたどり着くことはできません。わたしたちの心にもキリストが与えようとしている「永遠の命にいたる水の泉」を妨げている岩盤があるのではないでしょうか。プライドやこだわり、悩みや苦しみ、恨みや憎しみ、もしかすると生活の豊かさかもしれません。そのようなものが心の岩盤となり、「永遠の命にいたる水」がわき出るのを妨げているのです。このような岩盤を突き抜けなければ「永遠の命にいたる水の泉」を心に持つことはできません。
心の岩盤を突き抜けるには「わたしが与える水」を飲むこと、つまり、キリストの言葉を受け入れることが必要なのです。キリストの言葉は、ある時には心の岩盤を一気に粉々に打ち砕くかもしれませんし、またある時には心の岩盤を徐々に溶かし始めるかもしれません。キリストは今日もわたしたちに語りかけ、一人一人の心に「永遠の命にいたる水の泉」をわき出させるために、心の井戸掘りをしてくださっているのです。(「三育はこぶね」188号より、中学校チャプレン 青木泰樹記)