投稿日: Sep 21, 2009 1:4:35 PM
広島三育学院、また広島三育学院教会の「生みの親」として、神様に用いられた敬愛する加賀美正孝先生が、(1998年)3月3日の早朝に、ご入院先の世羅中央病院においてお亡くなりになった。享年79歳であった。
先生に初めてお目にかかったのは、高等学校のチャプレンとして赴任した4年前、教会においてであった。何度かお会いしたのだが、礼拝説教の後、教会の玄関で握手した時のことを思い出す。小柄だが、眼光に力があり、しかも優しさがにじみ出ていて、一見して、内面に光るものを持たれた偉大なお方とわかった。きさくで飾り気のない謙虚なお人柄も、深い印象として残っている。
学校設立の大恩人と伺っていたので、その頃、家内と一緒にお宅に挨拶にお伺いしたことがあった。その帰り、私共の車が見えなくなるまで奥様と手を振りながら見送って下さった。先生は、そのような方だった。
何より嬉しかったのは、森田牧師の時に、バプテスマを受けられ、共に天国を目指す神の子供となられ、教会員に加えられたことである。
昨年、お宅で学校誘致の時のお話を伺う機会があった。「私は広島三育学院が、大和町のカナンになり、そして大和町を広島県のカナンにしたいと思いました。」「三育学院はね、掛け軸のようなものですよ。壁にかけて見るでしょ。そんなお手本にしたいと思いました」とも言われた。聖なる驚きと共に、身の引き締まる思いがしたのを覚えている。
先生がお亡くなりになられ寂しいが、天国でまた、語り合う時を楽しみにしている。(1998年「三育はこぶね」129号 安居益也牧師記)