華やかではないけれど

投稿日: Sep 21, 2009 12:55:19 PM

夏は全国各地で華やかなお祭りが行われます。私はお祭りが大好きです。お祭りムードというのは独特なもので、周辺の雰囲気がガラッと変わってしまいます。それがたまらないのです。その華やかさという非日常的な雰囲気の中で、普段考えもしないようなことを考えたり、感動することが少なくありません。華やかさというものは人間の心を変える力があるのかもしれません。

私たちはお祭りのような非日常的な状態にならなければ、神様に出会うことができないかのような錯覚に陥ることがあります。神様は静かに働くのではなく、大胆に、そして力強く、パーッと派手に働くのだと無意識のうちに考えてしまっていることがあります。誰が見ても「すごい!」と叫び声をあげたくなるような奇跡だけが、神様の働きであるかのように考えてしまうことがあります。しかし、神様は時としてささやくように静かに語りかけ、働いてくださいます。

「主は、『そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい』と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19章11,12節)

不安と恐怖のため山奥に逃げ込んだエリヤの前に現れようとされた神様は、風の中にも、地震の中にも、火の中にもおられませんでした。そのような派手な自然現象の中に神様はおられませんでした。しかし、神様は静かにささやく声でエリヤに話しかけました。華やかさや派手は、自然現象の中でしか神様に出会うことができないという固定観念があったら、静かにささやく声を耳にすることができなかったことでしょう。

神様はいつでも、どこでも私たちに語りかけてくださっています。派手な語りかけもあれば、地味な語りかけもあります。派手な語りかけに気づくことはそれほど難しいことではありません。しかし、地味な語りかけに気づくためには、心を静めて耳を傾けていなければなりません。絶えず私たちに語りかけてくださっている神様の声に、心を静めて耳を傾ける毎日を送りたいものです。(「はこぶね」166号 中学校チャプレン青木泰樹記)