投稿日: Sep 21, 2009 12:57:15 PM
私はマタイ5章から7章までの「山上の説教」が大好きです。マタイはキリストがあちこちで話された説教をこの箇所でまとめたと思われますが、ここには教理や儀式、規定や教会の壁が感じられません。まことに霊的な教えで、外形的な行為を一切述べていません。第一の祝福は「心の貧しい人は幸い」とありますが、ルカ6:20では「心の」がなくて、「貧しい人は幸い」としかありません。”貧しい”は、ギリシャ語では”プトコス(働かないと生きてゆけない程度の貧しさ)”と”ベネイス(物乞いをして人に施してもらってしか生きられないほどの貧しさ”を使うそうですが、聖書のこの場所は後者の語句を当てています。
私たちは誇り高く、人によく見られたいといつも思い、簡単に頭を下げることをしません。五木寛之氏が『他力』という本を書かれました。この語に惹かれている自分はさっそく読みましたが、キリスト教もまた神に依存して生きる宗教であり、信仰者の姿勢もまた生かされている、愛されている、支えられているという人生観が生涯を支配する生き方です。
聖書はこの世の価値観を逆転した見方で満ちています。主は底辺に生きた庶民の間に生きて慰め、励まし、生きる喜びや幸せを教えられました。なんとすばらしいメッセージではないでしょうか!(「はこぶね」172号より、曽根田健二牧師記)