投稿日: Sep 21, 2009 1:6:44 PM
本屋さんの前を通ると、店頭の目立つところに聖書やキリスト教関係の本が並んでいるのに驚かされる。映画「ダ・ビンチ・コード」なるものに影響されてか、その周辺に「マグダラのマリア」、「サタンの苦闘」、「ペテロの黙示録」など・・・・・・が山と積まれている。読む人がいなければこんなにも流行らないだろう。ヘンなブームである。最近の新聞に古代コプト語で書かれた「ユダの福音書」の写本がエジプトで発見され、古文書を調べたその道の学者たちによる「ユダはイエスを裏切っていない。もっとも忠実な使徒だった」との発言が載っていた。
紀元2世紀、初代教会は外にローマ政府の迫害、ギリシャ・ローマ哲学との戦い、内に異端、分派との争いに直面していたが、当時、使徒たちの名前を使って聖書のようなものを書く偽教師が現れ、怪文書が出回った。その断片が今も残っているが著者は不明、真偽も不明のままである。信頼される教父たちはこうした“偽書”を引用していない。これらは霊感の書とはまったく区別されていたのである。クオバデイスの原本となった「ペテロ行伝」、少年時代のイエスの奇蹟を書いた「トマス福音書」などはこの類である。
“聖書のようで聖書でない”本が世俗世界に出回るのを喜ぶべきか。おそらく状況を見分けることもしない多くの読者にはキリスト教についても「あてにならない」として純粋な信頼を失わせることになるだろう。困ったものである。思った通りボイコットを呼びかけたカトリック教会に「過剰意識」と世論は反対した。まさに終わりの時代か。マルコはエジプトで殉教したという。ナイル南城に今も特異なコプト・キリスト教が存続している。 (「三育はこぶね」187号より 曾根田健二牧師記)