投稿日: Sep 21, 2009 1:22:5 PM
フィリピン留学を終え、東京・天沼教会に配属されてからわずか十ヶ月で(広島三育学院への)異動の話しをいただいたときにはただ驚くのみでした。異動に伴う経済的・心理的・時間的犠牲を強いられる状況に、わたしたち夫婦は取り乱しました。子供たちも過敏にそれを感じたようで、環境の変化もあってか、落ち着かない日々を過ごしておりました。個人的には、東京で発症した気管支喘息のような胸苦しさを引越し後まもなくして自覚し、健康面で不安を抱えることにもなりました。(少しゆっくりしたいなあ・・・)と思っても時間は待ってくれません。
中学校チャプレンとしての働きは、年度内でももっとも長く行事の多い二学期からのスタート。授業を受け持たなければならないし、慣れない諸集会には困惑することしきりでした。もちろん、二学期開始早々、二週にわたってバプテスマ式がもたれる安息日を過ごさせていただいたのですから感謝です。しかし、一方では秋期祈祷週の準備や実施などでつぶれそうになっていたのが正直なところです。(執筆時点で)赴任してからたった一ヶ月余りですが、よくここまで切り抜けさせていただいたと感じております。その実感の中ではたと気づいたのです。取り乱すあまり、神様からの恵みがたっぷりと注がれていることを見落としていたと。こんなにたくさんのよき隣人、同僚に囲まれているのに、それに気づかないほど浮き足だっていたのですね。そして、マルタのように必要なただ一つのこと---
イエス様の足下にひざまずくことが欠落していたと感じました。
わたしたち以上にわたしたちのことをご存じのお方が、いつも共にいてくださるのですから、もっとイエス様に信頼していいんだなと、あたりまえのことですがなんだかホッと一息つけた感じです。自分に課せられたことばかりに埋没しがちだからこそ、わたしたちの真の必要に過不足なくおこたえくださるお方に信頼したいと思っております。そういえば、「信ぜよ、神はすべてなしたもう」が毎朝もたれる教師礼拝のテーマソングです。(「三育はこぶね」194号より 藤森大輔中学校チャプレン記)