投稿日: Sep 21, 2009 1:2:3 PM
「初心忘るべからず」という有名な言葉があります。この言葉は世阿弥という日本の古典芸術の一つである能を大成させた室町時代の人物が、独自の能芸論を書いた「花鏡」という著書の中に残した言葉だそうです。入学式や入社式などで「今の新鮮な気持ちを忘れることなく頑張ってください」という励ましの意味で使われることが多いそうですが、実はもっと深い意味があるそうです。
世阿弥は能には「花」がなければならないと考えていました。能においては上手いか下手かよりも、「花」があるかないかということが大切であり、この「花」のために「初心」は欠かすことができないと世阿弥は考えたのです。「初心」とは単なる新鮮な気持ちだけを意味するのではなく、「物事を始めたばかりの上手くいかない惨めさ」や「他に何も手につかないほど没頭してしまう情熱」をも含んでいるのです。
わたしは今年でクリスチャンになって10年という年を迎え、この節目の年に三育学院短期大学で宗教週間の奉仕をさせていただきました。この働きが決まってから、たくさん悩み、苦しみ、不安に出会いましたし、今日の自分があるのはこの学校に入学したからだと常々思っておりましたが、再びキャンパスで数日を過ごすことによって「初心」を思い出すことができたような気がします。心の奥深くに眠っていた様々な良い思い出や苦しい思い出がよみがえり、それと共にその一つ一つの出来事の背後に神様がおられたのだということを改めて確信することができました。
「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ」〈ヨハネの黙示録 2:4,5)
クリスチャンにとっての初心を忘れることは、初めのころの愛から離れることであり、「神様を知ったときの感動」や「神様とであったときの喜びを忘れてしまうことです。「初めのころの愛」にとどまるとき、自分の醜さや汚さにも向き合わなければならないでしょうし、思い出したくない失敗談もあるかもしれません。しかし、そんな自分を丸ごと抱え込み、受け入れてくださった神様の愛を忘れずに生きるときに、「花」のある人生を送ることができるのではないでしょうか。(「はこぶね」181号より 中学校チャプレン 青木泰樹記)